みなさん、おはようございます。
空前絶ゴリラ、略してゼツゴリと申します。
今回はタイトル通り、アニメ『とある科学の超電磁砲』第1期の最終話、御坂vsテレスティーナの超電磁砲のぶつかり合いにおいて隠された御坂のセリフについて、筆者なりの考察をしていきます。
前提の確認
まず、該当のシーンで御坂が何と言ったのか、公式からは明かされていない認識です。つまり、我々視聴者たちの中で、何と言ったのかを正しくわかっている人はいないはずです。
よって、今回の考察が正解かどうかわかることは今後もないかと思いますし、消去法で出した結論なので正直なところ筆者自身が納得いっていない部分もありますが、読んだうえで感想や考察をくれたら嬉しいです。
口パクの中身
結論から言えば、あれは「学園都市だーっ!」なのではないかと思います。
・口パクの動き
・口パク尺
・それまでの経緯
などを踏まえて出した結論となります。以下に、詳細を記します。
口元の動きについて
口元の動きの最後、大きく口を開いていることからア段で終わると思われ、もっとも自然なのは「○○だーっ!」というものでしょう。ここはさすがに異論がないと思います。
次に、最後の直前の口元の動き、口を閉じて歯が少し見えるような動きをしていることから、イ段ではないかと推測できます。さらにその直前にの口元の動きについては、筆者はオ段のように見えました。ただし、あくまでアニメーションの動きのため、イ段まではまあまあ自信ありますが、その前のオ段については合っているかは怪しいところです。
口パク尺について
口パク尺とは、要は口パクの長さの話です。
口元の動きから考えても、長い言葉ではなく「○○(何かしらの短めの単語)だーっ!」と考えるのが自然だと思います。
無論、アニメーションのため現実より短い口の動きで長い言葉を発している可能性もゼロではありませんが、原作にはないアニメオリジナル最終決戦のここぞという見せ場で、あえてセリフを伏せるという演出をかますくらいにはこだわりがあるであろう力の入ったシーンにおいて、口パクの長さと実際の言葉のずれはそこまでないと考えています。
アニメの口の動きって、普通はそこまで精密に描写されないものですが、あのシーンだけは口元の動きも相当はきはき動いていましたし、そこで口元の動きと口パク尺の長さが大きく違うのはフェアじゃないというか、そんなことしたら視聴者に変に勘違いされるだけなので、そんなわけないと思う所存です。繰り返しになりますが、そんなこだわりのあるシーンを適当に描くわけないはずですし。
それまでの経緯
まず、この最終決戦のシーンに、御坂は独力で辿り着いたわけではありません。後輩の黒子や友達の初春や佐天、かつては敵であった木山先生などの協力があって辿り着きました。「協力があったからスムーズにいけたよね」ではなく、協力がなければ最終決戦に至ることすらできませんでした。
原作だと、友情や協力シーンがまったくないわけではありませんが、言っても御坂が主人公のスピンオフなので、活躍の大部分はやはり御坂が占めます。それこそ妹達編までは、御坂が自発的に他者に協力を求めたシーンはなかったと思います。
原作の作風はそんな感じの中、1回負けたからとはいえ、仲間を危険に巻き込みたくない思想を持つ御坂から仲間へ協力を頼むシーンを挟む程度には、アニオリの最後のエピソードである乱雑開放編は友情や絆を推したかったように見受けられます。
以上を踏まえると、ここぞというシーンに持ってくるセリフは、友情や絆を感じられるものと考えるのが妥当かと思います。
結論
以上、口パクの動き、長さ、経緯から総合して御坂のあのセリフについて筆者が出した結論としては「学園都市だーっ!」です。
この説の根拠は、これまでのすべての情報と「ほぼ」矛盾せず、御坂がたびたび言う「本当に退屈しないわね、この街は」というセリフとのシナジーがあり、「学園都市なんてサンプルの集まり」と主張する乱雑開放編のボスであるテレスティーナ=木原=ライフラインとの対比にもなっていることです。
調べればわかりますが、主流の説の一つでもあります。
ただし、この「学園都市」説には不自然な点がいくつかあります。
まず、ここぞというシーンでの隠されたセリフとしてはやや陳腐であること。学園都市が居場所と主張している御坂が改めて「学園都市」を強調するのもくどい気がするし、友情や絆を推す展開の中で街の名前を叫ぶ?というのもやや違和感です。
一番の違和感は、「○○だーっ!」の前にある「私の、私だけの――」という前置きともやや矛盾している気がすること。仲間との友情などを含む学園都市なら「私の、私『たち』の――」のほうが自然なはず。
明確な矛盾はないけど、妙な違和感が残るのが「学園都市だーっ」説となります。
対抗馬
前後の文脈や、セリフとして陳腐ではないかという疑問を解消し、かつ口パクの動きの矛盾が少ないのが「自分だけの現実だーっ!」説です。
これもネットでは主流の説の一つで、「私の、私だけの――」からつながる文脈だけなら、はっきり言ってこちらのほうがふさわしいと感じます。セリフとしても作品のオリジナル用語なので、学園都市よりは陳腐ではないとも思います。
じゃあなんで筆者の中でこの説は「学園都市説」を超えなかったのか。
理由としては、口元の動き、口パク尺、それまでの経緯とは符合していないと感じるためです。
先述した通り、口パク尺の長さ的に入るセリフは短めと推測されます。「がくえんとし」という6文字がぴったりくらいに感じるレベルの尺に、8文字くらいならまだしも「ぱーそなるりありてぃー」というのはさすがに収まってないと感じます。促音などもあり、そもそも口パク尺なんてのも全部推測であり感じ方の問題でもありますが、それらを差し引いても尺的にはふさわしくない、としか思えません。
また、口パクの動きについても、「イ段の前の口の動きはオ段に見える」からも矛盾してしまっています。こちらも筆者の推測の域を出ないうえでの話にはなってしまいますが、イ段の前の口の動きは少なくともイ段ではないはず。
極めつけに、友情や絆を推す展開において「自分だけの現実」というのもなんか矛盾している気がしてなりません。「だけの」というのがひっかかるんですよね。まあだから、そもそもの前置きである「私の、私『だけ』の――」からして違和感ありまくりなんですけどね。友情とかひっくるめて「御坂美琴だけの現実」ということなんでしょうかね。なんか変だなーって思っちゃいますけどね。筆者だけですかね、そう思うの。
まとめ
他にも説はあるかもしれませんが、個人的には上記2説のどちらかだと思います。8:2くらいで「学園都市」説推しです。
「自分だけの現実」説は、筆者の推測の中では口パクの動きや尺という観点から物理的に矛盾していますが、「学園都市」説は「違和感がある」というだけで明確な矛盾点がないためです。
とまあ長々と考察してきましたが、正直なところ、筆者はこういう「肝心なセリフをあえて伏せる」演出はあまり好きではありません。
だからこそ余計に「あの時、御坂は何と言ったのか」をはっきりさせたくなってしまうのだと思います。
みなさんは、あの瞬間の言葉をどう解釈しましたか?
コメントお待ちしております。
それではまた、次回の投稿でお会いしましょう。
※アイキャッチはAIで生成したものです。

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